100年商店街 大島中の橋商店街の歴史

100年を迎えるにあたり、文献や伝承をまとめて時系列にお伝えします。

大島中の橋商店街の組織としてのはじまりは、

橋の名前のとおり中の橋が落成されてからである。

文献を調査していくと昔からこの通りがあったことがわかった。

1702年(元禄15年)

上記の地図に、当商店街の通りが表現されていることがわかった。

通りの名前は無かったと思うので、わかりやすく中の橋通りと記載した。

上部の川は堅川、下部の川は小名木川となる。

江戸時代に江東区大島を確認できる地図のひとつである。

1909年(明治42年) 1915年(大正4年)

※出典:この地図は、国土地理院発行の1万分1地形図を使用したものである

上記地図の曲がり道は、現在も商店街に存在し目で確認することができる。

1918年(大正7年)8月

これは七丁目1番地先及び亀戸町間の堅川に架 設せらる。

浦野作次郎、吉川熊藏、吉川傳左衛 門、浦野藤吉、吉川鐵五郎、細井唯介、石原留次郎等の諸氏発起人となり、

同町、亀戸町民の賛成を求めて寄附金を仰ぎ、金額四千圓餘を工事に充てて、その進行を圖り、遂に大正七年八月落成し、直ちに町有に献納した。

昭和五年府より幾分の工事補助を受けて改設を行い、同年五月十三日工事 着手し、同年七月十五日その竣工を見た。

木橋して長さ二十四米、幅五米六六、工事實費千五百九十圓を要した。

※原文のまま

1919年(大正8年)

大島中の橋商店街振興組合の前身の大島中の橋通り共和会の創立第一回の会合とされる写真。

真ん中にある旗には『大嶋町中之橋通共和会』と記され、左には『共和会創立第一回』のような立て看板がある。

1918年8月に中の橋が落成した後の1919年に撮影された写真である。

1921年(大正10年)

※出典:この地図は、国土地理院発行の1万分1地形図を使用したものである

上記の地図上で中の橋が堅川に架けられているのが確認できる。

 

下記画像はいつのものかわからないが、文章中に【中之橋道】と書かれていることから、中の橋が落成後であると思われる。

この道路は、堅川筋六丁目五九二番地、七丁目一番地先より、小名木川筋五丁目一二三番地、

八丁 目一番地に至る横断道路線にして、一名量族俚俗に中之橋道とも言ふ。

當町の東部発展に牛耳を 負う道路となり、沿線の商業は羅漢道に次ぐ繁栄振りである。

※原文のまま

1945年(昭和20年)頃

空襲の被害で商店街は一時機能を停止したが、4~5年で復活、いち早く街路灯設置等の再建に動いたのは3人の女将さんでした。

福井理髪店:福井さんの奥さん

新栄堂:森石さんの奥さん

だるまや洋品店:永見さんの奥さん

1958年(昭和33年)

※出典:この地図は、国土地理院発行の1万分1地形図を使用したものである

新大橋通りが存在しているのがわかる。

【新大橋通りは、1930年(昭和5年)の地図には隅田川方面から明治通りまで、1937年(昭和12年)の地図には大島を横断している】

1980年代頃(昭和55年頃) 2019年(令和元年)

※左写真提供:FB経由にてM氏よりご提供いただく

1980年代頃の商店街アーチで、1990年頃に現在の商店街アーチに変更になった。

 

1981年(昭和56年)

商店街夏祭りがはじまった。【現在も継続中】

 

1983年(昭和58年)

売出しチラシのビックリ市がはじまった。毎月8日と28日がビックリ市。【現在はカタチを変えて継続中】

 

1988年(昭和63年)

Bigスタンプ事業がスタート【現在は行われていない】

 

2010年(平成22年)8月

商店街のホームページができる。

 

2010年(平成22年)10月

商店街初開催 ハロウィンイベント 100人募集してのイベント

【現在も継続中】【過去のハロウィンのまとめはこちら

第1回のハロウィンイベント動画

 

2013年(平成25年)3月

ビックリ市にリニューアル。【現在はカタチを変えて継続中】

 

2014年(平成26年)2月

第1回恋するフォーチュンクッキー参加者募集 その後、第3回まで行われた。

3回分の動画まとめはこちら

第1回恋するフォーチュンクッキーの動画

2014年(平成26年)7月

商店街初フリーマーケットの開催 【現在も継続中】

 

2015年(平成27年)7月

第3木曜・金曜・土曜・日曜の月・中の市にリニューアル 【現在も継続中】

 

2019年(令和元年)10月20日

100周年セレモニーと第10回ハロウィンイベント1,000人を募集してのイベント同時開催